常文勃
皆さんは禅という言葉を知っていますか。禅という思想は仏教がインドから中国に伝来した後、中国の僧侣たちが自ら仏典に基づいて発展させたもので、中国人が外国に広めたどくとくの文化です。そして、その文化は中国から日本へ伝えられると、すぐ日本人の生活と融合しました。しかし、その過程で、日本の禅の文化は中国の禅文化とは異なってきました。どうして私のような学生がこのようなことを知っているのかというと、私は別に僧侣だったわけではなく、ただ世界の宗教に興味があるだけです。もし僧侣だったら、女の子としゃべることができないでしょう。私にとってはそんなこと絶対耐えられません。
日本人は儒から生れ、禅で亡くなる。日本の有名な作家大江健三郎はそう言いました。禅の精神は自然に日本人の日常に定着しました。例えば、日本人は静かな環境が好きです。私が日本へ来たばかりの時、初めて日本の電車に乗ったことを今でも覚えています。なぜなら、電車の中では電車の音と駅員の声だけが聞こえていました。たとえ知り合い同志でもお互いに話しません。みんなその静かな雰囲気を楽しんでいるようでした。その時私はそれは禅の精神の中の「水のように静か」の思想だと思いました。それは中国でも、そして欧米諸国でも見えない生活の状態です。そのため私もそのしずかを楽しむようになりました。
皆さんは日常生活で最もよく言う言葉は何ですか。「ありがとう」だと言う人が多いのではないでしょうか。確かにその言葉もよく使いますね。しかし、一番使うのは「すみません」ではないでしょうか。私はのんな話を聞いたことがあります。ある人は同居する日本人に「今夜私たちはこの部屋で遊びたいんですが、まだ言い終わらないうちに、その日本人は「すみません、すぐ片付けますから」。その時その人は不思議だと思いました。実はその人がその後言いたかったのは「今夜うるさいかもしれないので、迷惑をかけてすみません」ということでした。もともと悪いのは私たちのほうなのに、なんであなたが謝るの?そう思ったそうです。実は日本人の謙譲の意識も禅の精神が起源です。「すみません」という言葉を使う原因は禅の精神の中の「他人の誤りには目をつぶり、自分の間違いをいつも見つめるという理論です。皆さんはもともとこのようなこと知っていましたか。ほんとうに不思議なことでしょう。
実は禅の精神は中国でも僧侣だけの特別な考え方ではなく、中国の普通の人々の生活の中にもあります。しかし、中国人の禅の思想は微妙に変化しました。例えば、中国人は禅の「他人に頼らず、自分に頼る」という思想から学んだことは独立であったはずなのに、他人に冷たくすることになってしまいました。それに対して、日本人はその思想から学んだことは他人に冷たくすることではなく、どんなに親しくても、必ず一定の距離を保つことです。どうしてそのような違いがあるかわかりませんが、にほんじんの理解のほうがいいと思います。
禅という文化はもともと中国で生まれたのに、日本で素晴しく発展しました。今日本人のとうに禅の精神に基づいて、みんな礼儀をもって生活していることはお欧米先進国家よりもいいと思います。ですから、私たち中国じんも日本人に習うべきです。
ご清聴ありがとうございました。
(2012年富士日语演讲大赛)
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