項昕
周りの人の楽しげな声が聞こえて幸せ。ピアノの音色が聞こえて幸せ。ゆったりと空で遊んでいる鳥の声が聞こえて幸せ。皆さんそう思った時がありますか?今、これらがあたりまえのことだと考えている人がいるかもしてません。しかし、もし耳が聞こえなかったらどうでしょうか?耳の聞こえないろうあ者にとっては、これらの音が聞こえることはありません。音が聞こえない代わりに、彼らは手話を使います。
皆さんは、手話を見たことがありますか?私が初めて手話を見たのはあるテレビ番組で中国のダンサーのインタビューでした。彼女達はろうあ者なので、音楽が聞こえません。それで、踊る時は舞台の傍にいる手話の先生の指示を手掛かりにして、音楽に合わせて踊ります。インタビューを見たとき、手話は分かりませんでしたが、私の心に深い印象が残りました。
日本へ来て日本語の勉強をしているとき、ふと「言語は世界中で異なるけれど、手話は国ごとに違いがあるのたろうか」という疑問が浮かびました。そんな時に、日本で「ストーリー」という手話の歌を見る機会がありました。この歌を見て、手話が以前中国で見たものとは異なっているということに気が付きました。そこで、インターネットで調べて、驚きました。手話は、私達が話す言葉と同じで、国によって異なるのです。それらの特徴により、手話は私たちが話す言葉と似ていると思いました。いろいろな手話を見て、手話はほんとに不思議な言葉だと思いました。
しかし、手話は話し言葉と似ている点が多いといっても、手話を使っているるうあ者の生活は言葉を使っている私達の生活とは、全然違います。彼達は普通の学校で勉強できません。普通の仕事もできません。インタビューでろうあ者のダンサーにこのような質問がされました。「人生で不公平だと思った時がありますか」という問いです。そのダンサーは笑って、美しい手話で答え始めました。「そう思った時もあります。周りの人の楽しげな声はどんな声だろう?」「ピアノの音はどんなだろう?」「ゆったりと空で遊んでいる鳥の声はどんな声だろう?」という気持ちもありましたが、それよりも「私は目が見えて幸せ。」「歩けて幸せ。」「私は生まれて幸せ」という感謝の気持ちの方が強いのです。彼女の話は私を含めたインタビューを見ていた多くの人の心も動かしました。確かに、完璧な人などいません。私達は、例え聞こえたとしても、話せたとしてもできないこともたくさんあります。
ですから、今できることに感謝の気持ちを持つことが大切です。いつも感謝の気持ちをもっていれば、自分には、思ったよりもたくさん出来ることがあることに気が付きます。いつも感謝の気持ちを持ってさえいれば、例え声のない言葉でも聞こえるようになると思っています。
ご清聴ありがとうございました。
(2012年富士日语演讲大赛)